「障害」と「障がい」〜後編〜

※この記事の内容は過去の記事の続きになります。
 最初からお読みになるには「障害」と「障がい」〜前編〜をどうぞ!

(〜続き)

いちばん悲しいのは、表記する側が「『障がい』にしておけば無難なんでしょ」という理由でそうすることある、というです。

そうではなく、「私たち○○は、××という理由に基づいて『障害』or『障がい』と表記します。」のように信念をもって表現してほしいなと、私は思います。

一方で、「障害」という表記に悲しむ人が一定数いるのも事実でしょう。
例えば、幼い頃に冷やかされた体験などにより「背が高い」ことをコンプレックスに感じている人が目の前にいるとします。
もしあなたがその事情を知っていたら、その方に対して「背が高いですね〜」とは言わないですよね?
そうやって私たちは使う言葉を、目の前の相手によって、またその時の文脈によって使い分けていると思います。

したがって、障害者全体に対して一律で△△と表記すべきというのではなく、
一人ひとり目の前の人によって使い分ける、こういった気持ちや配慮がなによりも大切なのではないでしょうか。

横文字でハンディキャッパー、チャレンジドなど……言葉の表面だけをどんどん取り替えていっても意味はありません。
障害に対する私たちの意識だったり、障害があることによって社会的に背負わされる不利益だったりを取り除いていかない限り、いつまでもこの言葉狩りは続いていくと思います。

さいごに

「障がい者」と表記すると、視覚障害者が利用するスクリーンリーダー(コンピュータの画面読み上げソフトウェア)では、「さわりがいしゃ」と読み上げられてしまう場合もあるそうです。

以前の記事では、障害の社会モデルについても紹介しました。
「障害」は人ではなく、環境にあると私は考えています。
Rehavelでは漢字の表記のみにとらわれず、様々な視点から社会における「障害」と向き合っていくことを目指しています。

 

旅に出る、その一歩を。
Rehavelのホームページはこちら!

一覧へもどる